1 / 11

《 東海村臨界事故 》

《 東海村臨界事故 》 1999年9月30日午前10時35分ごろ、茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の転換試験棟で、濃縮度18.8%のウラン溶液を製造中、沈殿槽に一度に大量の溶液を投入したため、核分裂反応が連続する臨界事故が発生。突然の青い閃光と共にガンマ線エリアモニターが発報し、臨界事故が発生。3人の作業員が多量の中性子線などで被ばくした。 この事故で核分裂を起こしたウラン燃料は全部で 1 ミリグラム。 臨界状態は約20時間継続し、中性子線やガンマ線などが周辺に放出された。.

mabyn
Télécharger la présentation

《 東海村臨界事故 》

An Image/Link below is provided (as is) to download presentation Download Policy: Content on the Website is provided to you AS IS for your information and personal use and may not be sold / licensed / shared on other websites without getting consent from its author. Content is provided to you AS IS for your information and personal use only. Download presentation by click this link. While downloading, if for some reason you are not able to download a presentation, the publisher may have deleted the file from their server. During download, if you can't get a presentation, the file might be deleted by the publisher.

E N D

Presentation Transcript


  1. 《東海村臨界事故》 1999年9月30日午前10時35分ごろ、茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の転換試験棟で、濃縮度18.8%のウラン溶液を製造中、沈殿槽に一度に大量の溶液を投入したため、核分裂反応が連続する臨界事故が発生。突然の青い閃光と共にガンマ線エリアモニターが発報し、臨界事故が発生。3人の作業員が多量の中性子線などで被ばくした。 この事故で核分裂を起こしたウラン燃料は全部で1 ミリグラム。 臨界状態は約20時間継続し、中性子線やガンマ線などが周辺に放出された。

  2. 転換試験棟での作業内容 転換試験棟は、JCOの本来の業務とは別に、核燃料サイクル開発機構(旧動力炉、核燃料開発事業団、以下核燃機構)から委託された、高速増殖実験炉「常陽」の燃料を加工する試験的な施設でした。この時は、18.8%という高い濃縮度のウランの硝酸溶液をバケツを用いて沈殿槽に移送していました。転換試験棟での作業内容 転換試験棟は、JCOの本来の業務とは別に、核燃料サイクル開発機構(旧動力炉、核燃料開発事業団、以下核燃機構)から委託された、高速増殖実験炉「常陽」の燃料を加工する試験的な施設でした。この時は、18.8%という高い濃縮度のウランの硝酸溶液をバケツを用いて沈殿槽に移送していました。

  3.  転換試験棟内で作業していた社員3人のうち大量被曝で2人が後に死亡。臨界を終息させる作業に当たった社員と原子力関係者、付近住民ら663人が被曝したとされる。現場から半径350メートル以内の住民に避難勧告、半径10キロ以内の住民約31万人に屋内退避を要請。国際評価尺度「レベル4」の国内史上最悪の原子力事故となった。 転換試験棟内で作業していた社員3人のうち大量被曝で2人が後に死亡。臨界を終息させる作業に当たった社員と原子力関係者、付近住民ら663人が被曝したとされる。現場から半径350メートル以内の住民に避難勧告、半径10キロ以内の住民約31万人に屋内退避を要請。国際評価尺度「レベル4」の国内史上最悪の原子力事故となった。

  4. 1.労働者などの被ばく • 直接作業をしていた3人ー大内久さん、推定16~20シーベルト以上の被ばく、1999年12月21日なくなられました。 • 篠原理人さん、推定6~10シーベルの被ばく、2000年4月27日に亡くなられました。 • 横川豊さん、推定1~4.5シーベルトの被ばく、一時白血球がゼロになり危険でしたが、その後退院されました。シーベルトは被ばく線量の単位、致死量は6~7 シーベルトといわれます。)大内さん、篠原さんの死因は放射線被ばくによる多臓器の機能不全です。以上の3人の方は、1999年10月6日、急性放射線症で労災に認定されました。(大内さんの容態については、NHK取材班「被ばく治療83日間の記録」を参照してください。) • 救急隊員3人 事故の内容を知らされずに出動し、13 ミリシーベルト被ばくしました。 • 臨界終息のための作業をした人たちや東海事業所の従業員・政府関係機関の職員など最大で120ミリシーベルトに達してします。その他に50ミリシーベルトを超えてしまった人は6人もいます。(放射線を扱う作業に従事する人は年間50ミリシーベルトを限度にしています。この数字は胸につけた線量計によるものです。)

  5. 2.住民の被ばくJCOの施設は普通の街の中にあります。臨界事故では、隣接の施設で作業をしていた7人や周辺の住民が長時間中性子線などを浴びました。はじめ事故調査委員会(事故報告書参照)は、住民の被ばくを7人としていましたが、その後200名が追加されました。最大の人は、25ミリシーベルト、公衆の年間被ばく線量限度の1ミリシーベルト以上の被ばく者は112名に達しています。(この数字は科学技術庁の事故調査対策本部が行動調査によって被ばく線量を推定した結果です。科学技術庁の線量評価については、後述の大泉さんの場合、阪南中央病院の調査の6分の1以下という例もあり、切り下げられています。)なお、被爆者の総数は、公に認められただけで2000年4 月までに667名にのぼりました。 中性子線・ガンマ線の他,1ヶ月間も放射性ガスが放出されており、付近から放射性ヨウ素群も検出されています。

  6. 原子力事故で初の刑事責任を問う水戸地裁での裁判で、検察側は9月2日に論告を求刑。前事業所長に禁固4年、罰金50万円、他の5人に禁固3年6月―2年6月、JCOに罰金100万円を求刑したが、国の責任は問わなかった。年度内にも判決が言い渡される見込み。原子力事故で初の刑事責任を問う水戸地裁での裁判で、検察側は9月2日に論告を求刑。前事業所長に禁固4年、罰金50万円、他の5人に禁固3年6月―2年6月、JCOに罰金100万円を求刑したが、国の責任は問わなかった。年度内にも判決が言い渡される見込み。

More Related