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ゆきずりから出会いへ < 祭司的まなざしのミニストリー > 使 3:1-10, 4:4,13-14,31-35. 東京陽光基督教会 2012 年 10 月 28 日. ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。 この男は、宮に入る人たちから 施しを求めるために、毎日「美し の門」という名の宮の門に置いて もらっていた。. 日課.
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ゆきずりから出会いへ<祭司的まなざしのミニストリー>使3:1-10, 4:4,13-14,31-35 東京陽光基督教会 2012年10月28日
ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。 この男は、宮に入る人たちから 施しを求めるために、毎日「美し の門」という名の宮の門に置いて もらっていた。ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。 この男は、宮に入る人たちから 施しを求めるために、毎日「美し の門」という名の宮の門に置いて もらっていた。
日課 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。 この男は、宮に入る人たちから 施しを求めるために、毎日「美し の門」という名の宮の門に置いて もらっていた。
彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロはヨハネとともに、その男を見つめて、 「私たちを見なさい」と言った。 男は何かもらえると思って、ふ たりに目を注いだ。(使3:1-5)彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロはヨハネとともに、その男を見つめて、 「私たちを見なさい」と言った。 男は何かもらえると思って、ふ たりに目を注いだ。(使3:1-5)
彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロはヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。 男は何かもらえると思って、ふ たりに目を注いだ。(使3:1-5)彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロはヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。 男は何かもらえると思って、ふ たりに目を注いだ。(使3:1-5)
使3:1-10から学ぶこと • 配慮のあるまなざしが • 主の名による宣言を生み • 物乞いの男の癒しを生み • リバイバルにつながった • 男の数5,000人の回心 主の名による宣言が 物乞いの男の癒しが
使3:1-10から学ぶこと • 人間関係における(個人伝道・夫婦関係・子供のしつけ・友人関係・雇用関係) • 見通すことの重要性 • 見抜くことの重要性 • 相手をどう視るか • 相手とどういう関係をもつか • その関係が生み出す結果
心不在焉 視而不見 聴而不聞
結論 心を込めて相手と接する
結論 祭司的心配りが預言者的宣言を生み、預言者的宣言が「御霊のみ力の現れ」につながる
使3:1-10 • 祭司的心配り • 預言者的宣言 • 神の業の顕現
祭司的なまなざしのミニストリー • 祭司的心配り • 目と目が合う関係(3:3-5) • 預言者的宣言 • 心と心がつながる瞬間(3:6) • 神の業の顕現 • 肉体の癒し(3:7-10) • 共同体の誕生(4:4,24,31-35)
祭司的なまなざしのミニストリー • 視線のやりとり(すべて異なった用語) • ペテロとヨハネを見かけた(eidon)男 • 施してくれるものなら誰でもよい見方 • 男を見つめた(atenizw)(改)、じっと見た(口・共)ペテロとヨハネ • 目とともに心を注いで視る見方 • 「私たちを見なさい(blepw)」といったペテロ • ペテロとヨハネに目を注いだ(epecw)注目した・口、見つめた・共)男
行きずりの関係 まなざし(視線)の往き来 見かけた 「私たちを見なさい」 男性五千 人の回心 じっと見た 目を注いだ 出会いの関係
祭司的なまなざしのミニストリー • 祭司的心配り • 盲人に対する弟子達と主イエスの視線の違い (過去を見る弟子、未来を視る主) • 強盗に襲われた男から目を逸らした祭司とレビ人(+/ーを計算する行動) • ペテロとヨハネを見かけた男が彼らに目を注ぐ視線に変えられていくプロセス
意志の疎通 (メラビアンの法則) 目の領域 耳の領域 8% 37% 55% 視線交錯(アイ・コンタクト)の重要性
「行きずり」から「出会い」へ • 両者の関係を変えた視線交錯 • 本質的なニーズを呼び起こす視線 • 人格(心)に触れる視線 • あきらめを希望に結びつける視線 • 預言者的な宣言を生む祭司的配慮の視線 • 一過性の問題解決ではなく、永続的な解決への視線 Marie Bergのしつけ
「行きずり」から「出会い」へ • 両者の関係を変えた視線交錯 • ペテロ・ヨハネを立ち止まらせた動機は何か? • 「行きずり」の関係が「出会い」の関係に転換した要因は何か? • 「行きずり」の気の毒な障碍者と視るか • 「隣人」(ルカ10:27、36,37)と視るか
「行きずり」から「出会い」へ • 「行きずり」の気の毒な障碍者と視るか • 律法に準じ「施し」で終わる行動 • 「隣人」(ルカ10:27、36,37)と視るか • もう一つの律法に準じる行為 「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」、また「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(ルカ10:27)
行きずりの関係 ソロモンの回廊 伝道説教の機会 祭司的 心配り 愛 の流れ 男性五千 人の回心 出会いの関係
人の 神の 偶然 必然 ゆきずり 出会い 三輪和敏教授
祭司的心配り • 預言者的宣言 • 神の業の顕現 (リバイバル)
結論 祭司的心配りが預言者的宣言を生み、 アイ コンタクト
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナ「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナ ザレのイエス・キリストの 名によって、歩きなさい。」 (使3:6)
結論 祭司的心配りが預言者的宣言を生み、
結論 祭司的心配りが預言者的宣言を生み、預言者的宣言が「御霊のみ力の現れ」につながる